連載小説
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転職、最硬派から最軟派の会社へ
 今は知らないが、当時のエスエス製薬はバリバリの硬派な企業だった。その洗脳を徹底して行うのが、入社前研修という名の地獄の特訓のようなものだった。
 後になって、年金事務所から送られてきた書類を見て、初めて入社が50年3月16日だと知った。なんと学生の間に事実上、すでに社会人にされていたのだ。
 化学科を出た僕は成田研究所に配属が決まっており、すでに荷物も送っていた。しかし、この研修が進むにつれ、君は営業の方が向いてると言われ、検討するよう命ぜられた。
 大学の教授からは、プロパー(薬の営業員)だけはなるな!と以前言われた事を思い出した。超過酷で使い捨てだからだ。
 入社時、誰もは部長、役員を目指すわけだが、理科系のトップは当然国立大学かせいぜい早稲田、慶応くらいで、最初から僕に勝ち目はなかった。
 さらに加山雄三(可が山のようにあって、優が3つ)だった僕はスタートでこけたくなかった。勇気を持って営業を決断した。時代がどんなに進んでも、営業マンは不滅だと思っていたからだ。
 入社してからは案の定、ボーナスを貰う度、何十人もの営業マンが去っていった。結果、僕が退社した時、同期営業300名が残り3人になっていたのだ。どんなに厳しかったか、おそらく想像にあまるだろう。
 そんな中努力の結果、4年目に年間優秀プロパーとしてベスト20名に入り、高輪のホテルで、会長社長を囲む会食会とハワイ旅行が与えられた。この先の出世はあっても、そこまですべてを犠牲にしたくなかったし、まして体もきつかった。
 ちょうどそんな時元バンドの仲間の嶋君(高嶋)が、声をかけてくれた。「そんなに頑張ってるんだったら、うちに来たら?」こっそり受けた面接、その場で入社が決定した。
 最も軟派な業界、西武百貨店本店の宝飾部だ。後になってこの転職こそがまさに、僕の人生を狂わす最大の要因になるとは・・・・
10/09/06 10:14更新 / アンバー
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■作者メッセージ
女ウジャウジャ、なんて会社?

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まろやか投稿小説 Ver1.53c